colabo問題から寄付文化を考える

colabo問題が一応現在収まったように感じるの
この問題はcolabo側の不正はなかったということで決着がついたと思う

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この問題はジェンダーバックラッシュなど
批判的に見ている人が多いと思う

個人的に驚いたのが
colaboが不正をしていると主張している男性が
裁判のために寄付を募ったところ
約7000万円を超える寄付が集まったとされる。

「Colabo問題」追及で7000万円の支援金を集めた男性が独占告白「これはネット界におけるウクライナVSロシアの戦争です」(2ページ目) | デイリー新潮
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結果として監査の結果
colaboに不正はなかったということだが
寄付が一般人にここまで集まったのは驚異的だ。
(今も不正があるように主張している人もいるみたいだが、colaboが不正をしている可能性は極めて低いと思う)

これをどう考えるか?
個人的には少なくとも寄付をした人をけなすことは避けたい

ただ、「寄付して騙された」とか感じる人も一定数いるかもしれないので
そういう人が挫折をして、寄付を2度としないということは
あまり良いとは思えない

そもそも、身元もほとんどわからない一般人に寄付ができるのなら
NPOなどのちゃんとした組織なら相対的に共感をした支援ができるはずだ。
ただ、日本で寄付文化が衰退している理由としては経済的な理由に加えて
寄付を募る団体に不信感があるということだろう

colabo問題の教訓を考えると
①ちゃんとしたNPOなどの組織に寄付をする
②他人を攻撃するための活動への寄付を控える
③意見がすべて一致しないとしてもある程度の妥協を考える

ということを心得ておくべきなのかもしれない

日本は「共助」がものすごく苦手ということらしい

自分自身も寄付ということをほとんどやってこなかったので
これから、公にすることはないと思うが
この記事は寄付に少しでも積極的になりたいという宣言にしたいと思う
(どこに寄付したかは、政治性を帯びる可能性があるのであまり公にしたくないが)

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