車いすインフルエンサーのバッシングに思うこと

「別の映画館で見てと言われた」車いす利用者の投稿にバッシング 「合理的配慮」どう実現していくか考えた:東京新聞 TOKYO Web
東京都内の映画館で従業員が車いす利用者に不適切な発言をしたとして運営会社が謝罪文を公表した。「この劇場以外で見て」と言われたと利用者が...

車椅子のインフルエンサーが
イオンシネマの映画館での対応に対して
不満をネットに書き込んだことについて
騒いでいるらしい

個人的には近くのイオンシネマには何度か行ったことがあり
車椅子の人もたまに見たことがあるが
グランシアターについてはよくわからなかった

しかし、ネット炎上であまり騒ぐというよりも
インフルエンサー個人に対してバッシングをするというのは
あまりよくないと思った

車椅子の人から見ると不満が大きいことでも
一般人から見ると「カスハラ」に見えてしまうズレがあるのかな?

しかし、芸能人などがネットでバッシングをされることによって
自殺する人まで出てきていたのが
今まで話題になったはずなのに
この騒動でも車椅子インフルエンサーに対してバッシングが大きくて
その教訓がまったく生かされていないように感じる

さらにそのインフルエンサーの
X(旧Twitter)でのポストに「コミュニティノート」が
イオンシネマは合理的配慮を一応しているというものがついていることから
「インフルエンサーがカスハラをした」という風潮にお墨付きを与えた感じがする
コミュニティノートに対しては「ファクトチェック」とは違うが
それをうまく区別しないまま「エビデンスで殴るためのツール」と化しているように感じる

特に木村花さん自殺のきっかけとなった
テラスハウスの番組は(演出だとしても)
事実だった場合は歯止めがかからないように思った

具体的な例では、回転寿司屋でイタズラをした若者が炎上したりしたのがそれにあたる

最近では大谷翔平選手の通訳が
違法賭博で大金を使ったことが話題になっている
日本国内では「大谷さんは悪くない」という風潮がでている

もちろん、自分も「大谷さんは悪くない」という感情になってしまうが
これは法的、倫理的な責任とは無関係である。

感情は移ろいやすいもので
例えば「コンビニのコーヒーのサイズを間違えたことで逮捕されるのはおかしい」
と感じるところがあるし
逆に「裏金議員は逮捕されない奴はおかしい」
と感じることもある

さらにまとめサイト、迷惑系ユーチューバーなどによって
ネットでマネタイズできる環境があり
さらに厄介な問題になっている

彼らが感情を煽る記事を書いて問題が
肥大化させたり、逆に矮小化させたりすることで
社会に問題が蓄積されていくことを感じてしまう

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